本読み記録

読んだ本の備忘録とか

読書遍歴:SFなるものに気付く

読書遍歴

前回のつづき。

高校1〜3年生

国内文芸

2012〜2015年のあいだ、年30〜50冊くらいのペースで小説を読んではいたはずだが、どういう順で読んでいたか記憶が定かではない。中学生の頃より多くの作家の小説を読むようになったからという事情もある。 このころ触れた覚えのある作家を列挙してみると、

海外文芸

翻訳ミステリを読もうとして古典を数作買ってみたはいいものの、何が起きているかいまいち読み取れずにいたらいつの間にか事件が解決していたという事件があり、翻訳ものを当面の間は避けるようになった。 しかし幸運なことに、この翻訳アレルギーは高校生の間に『わたしを離さないで』(カズオ・イシグロ土屋政雄訳)や『たったひとつの冴えたやりかた』(ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア浅倉久志訳)に触れることで症状は和らいだ。ちなみに『たったひとつの冴えたやりかた』(原題:The Only Neat Thing to Do)を手にした理由は、『神様のメモ帳』(杉井光)で "The Only NEET Thing to Do" というネタが重要な役割を果たしていたためだ。あと『わたしを離さないで』の場合はタイトルがきれい(?)で有名だから手に取ったのだと思う。

それと、この時点ではSFというジャンルを明確に意識はできていなかったことには言及しておきたい。よく売れている小説とか長年売られ続けている名作とかエンタメのサブジャンルとかそういう認識で、『たったひとつの冴えたやりかた』さえあまり独立したジャンルとしてのSFだとは思っていなかった。SFをSFとして明確に認識するのは『たったひとつの〜』を読んだ何年も後のことだ。

漫画

サンデー系の漫画を中心に読んでいたが、ガンガンやエースあたりにも触れていた。ラブコメ好きだったとは思う。『神のみ』とか『いぬぼく』とか。いぬぼくのような少女漫画寄りの作風も好んでいたのはこの後の話に効いてくるかもしれない。

また、それらの雑誌の系列ではないが、後の布石になりそうな作品として、道満晴明ヴォイニッチホテル』『ニッケルオデオン』の単行本を買って読んでいた。どうやって知ったかという経路はまったく覚えていない。ただ書店で買った覚えだけがある。たぶんネットの何かの新刊紹介とかで知ったのだとは思うが。なんで買おうと思ったんだろう? なお、大学学部3〜4年次に円城塔の小説を読みだすことになるのだが、その円城塔が『ニッケルオデオン』の帯文を寄せていたことを最近知ってびっくりした。ジャンルを意識する以前から明らかに何かに吸い寄せられている。コワイ。

大学 学部1〜2年

2015〜2016年頃、いろいろ読んでいたと思うがあまり覚えていない。漫画をわりと読んでいた覚えはあって、小説のほうはそこまで手が回っていなかったのかもしれない。 とは言ってもある程度小説も読んではいて、作家買いプラス話題のものを読んでみるというスタイルを継続していた。

ハヤカワ周辺であれば『火星の人』(アンディ・ウィアー。邦題『オデッセイ』として映画化)、『あなたの人生の物語』(テッド・チャン。表題作が邦題『メッセージ』として映画化)、あと伊藤計劃虐殺器官』『ハーモニー』あたりは読んでいた。

この他であれば野﨑まどの作品もこの頃に手を出し始めた。『バビロン』から入門する恐ろしいことをやっていた気がする。あと柞刈湯葉のデビューがこの頃で、『横浜駅SF』や『重力アルケミック』を読んだ。特に『重力アルケミック』は青春モノのサイエンス・フィクションとして白眉と感じたものだが、セールスは良くないらしい。理工系の大学関係者しかピンとこない部分はあるかもしれないと思わなくはないのだが、早川か創元か角川でもいいからとにかく文庫版を出してほしい。

SF系以外で印象深いのは電撃文庫から出た古宮九時『Babel』(イラストは私にとっては《飛空士》シリーズでお馴染みだった森沢晴行が担当)[2016年刊行]で、主題としては「なぜ異世界でも言語が通じるのか」である。この問いに対するエクスキューズを用意する点でSF的といえばそうかもしれない。こういう作風はとても好みだったが古めの少女小説の系譜といった感じで電撃文庫っぽくはないなーと思っていたら2巻で事実上打ち切りとなってしまった(WEB版ではすべて読める状態だったが…)。この後2020年に書店をふらふらしていたら電撃の新文芸でイラストレーターを同じくして再スタートしていたことに気づいて驚いた。本当に良かった。

大学 学部3年〜修士1年

学部3年あたりで円城塔の『Self-Reference ENGINE』を読んだ。読めてはいないだろうが、とにかく読んだ。分からなかったが何かが合うと感じられたので少なくとも単著は可能な限り追うことになった。 長谷敏司の小説もほぼ同じ時期に読み始めたと思う。『BEATLESS』アニメが始まる前には原作を読んでいたし、さらにその前に『あなたのための物語』も読んでいたはずだ。最初はかなり読みづらいと感じていたが、慣れてくるとやたら切迫した地の文がどんどん刺さってきて読まざるを得なくなってしまった。 あとやはり(?)この時期にオキシタケヒコ筺底のエルピス』を読み始めている。ガガガ文庫星海社FICTIONSとハヤカワ文庫JAが好き。

さらに転機はおそらく大学4年次に読んだ『順列都市』(グレッグ・イーガン)で、これを読んで初めて「ジャンルSF」を認識できた。エンタメのサブジャンルとしてのSFではなくて、SF原液ジャンルというか、とにかくそういうのがあると気づいた。もっと前に気づいてもよかったろうが、ここで何かをバキッっと理解した感がある。

あと、2019年頃はハヤカワ(というか某編集者?)が百合を推しだした時期で、伴名練、陸秋槎あたりの作品に触れた。アンソロジストとしての伴名練も好きで、そのworksで石黒達昌や小田雅久仁の存在を知ることができた。

あと石川宗生の存在にも気づいた。『半分世界』など特に理由もなく(?)めちゃくちゃなことが起きるのでSFと読んでいいかは微妙で、ラテンアメリカ文学の気風である(ラテンアメリカ文学というジャンルというか何と言うかは他人のレビューを漁って知った)。こういうのも好みだと分かったのが良かった。

修士2年〜労働者3年め(現在)

修士2年時点から読書メーターを使い始めた。修士2年次は気持ちの余裕が無さすぎてあまり本を読めなかった覚えがある。覚えはあったが読書メーターを見てみると年で50冊以上は普通に読んでいたので読めなかったのは修論がやばかった時期だけかもしれない。『ディアスポラ』(グレッグ・イーガン)とか『伝奇集』(J. L. ボルヘス)とかふつうに読んでた。

それからなぜか修了できて企業に吸い込まれた。特にその1年めは新文芸系のシリーズをダーッと読むことが多かった。森博嗣の《S&M》シリーズを読み終わったり、古宮九時『Unnamed Memory』本編(『Babel』と同じ世界観)を読んだり、あとはコンシューマーゲームもやるようになって薦められてプレイした《ダンガンロンパ》シリーズのスピンオフ『ダンガンロンパ霧切』(北山猛邦)を読んだり。

あとはAudibleサブスクに入ったりして、軽めの小説シリーズを聞くことも増えた。『ゴーストハント』とか『裏世界ピクニック』なんかはAudibleで聴いた(聴いている)。特に会話文の多いキャラ小説なら音声のほうが楽しめるという気もする。良い時代になったものだ。

最近は前回記事冒頭の通り、SFジャンル中心に、怪奇幻想、海外文学、あとミステリと新文芸あたりを読む傾向にある。そのような人生。

読書遍歴:すべては2005年名古屋のポケパークから始まった

概要

小説中心に自分がこれまでどういうジャンルを辿って来たかを振り返ってみる。ただし読んでいた漫画との絡み合いなどもあるので、漫画の話もする。インターネット老人の回顧録のようにもなってしまったが、何かが世の中から散逸しないようにするためには書き残すだけ書き残しておいたほうが良い気もしたのでpublicな空間に置いておきます。

最近の趣味だけ紹介しておくと、小説ならSFジャンル中心に、怪奇幻想、海外文学、あとミステリと新文芸あたりを読む傾向にある。ここ数ヶ月で読んだ小説を時間降順で10タイトル記すと『残月記』(小田雅久仁)、『裏世界ピクニック』8巻(宮澤伊織)、『可燃物』(米澤穂信)、『挿し絵入り版 老人と海』(アーネスト・ヘミングウェイ)、『プロジェクト・ヘイル・メアリー』上下巻(アンディ・ウィアー)、『世界でいちばん透きとおった物語』(杉井光)、『猫町 他十七篇』(萩原朔太郎)、『占星王をぶっとばせ!』(梶尾真治)、『円環少女』10巻(長谷敏司)[再読]、『まず牛を球とします。』(柞刈湯葉)となる。

小学生のころの話まで遡る都合上、ここで1997年早生まれという個人情報は附しておく。

読書遍歴

小学3年生

2005年のことである。家族で連れ立って名古屋でやっていたポケパークに向かう途上のことだ。家からそれなりに距離があり、特急列車での暇つぶしとして父が漫画雑誌を買ってくれた。週刊少年サンデーである。このときたしか『うえきの法則+』が連載初回だった。私は当時コロコロコミック読者であり、小学館つながりと考えると父によるサンデーという選択は不自然ではないが、父が若いとき読んでいた漫画雑誌は週刊少年マガジンというのだからよく分からない。気まぐれという感じはする。 そうしてその日からたしか少し間を開けてサンデーの定期購読が始まった。ジャンプでもマガジンでもなくサンデーであることが後年効いてくる。

〜小学4年生

小説らしい小説としては小学3年生だか4年生のときに実は『十五少年漂流記』(ジュール・ヴェルヌ青い鳥文庫)を読もうとしたこともあったが、たぶんカタカナの登場人物がたくさん出てきて読みづらくて船が難破したあたりで読むのをやめた。 なぜ読もうとしたかというと、家に来た保険屋のオバチャンがくれたからである。保険屋のオバチャンが訪問先の子どもに本を渡すのはふつうに起こることなのだろうか。よくわからない。

小学5年生

まともに小説を読み始めたのは小学5年生のとき、2007年のことだった。私は伊坂幸太郎の『グラスホッパー』を読み切った。 どんな話かといえば、まぁ殺し屋さんたちがワチャワチャする話である。日本で実写映画化されている(観てないが…)し、殺し屋シリーズ後継作であるところの『マリアビートル』が『ブレット・トレイン』としてハリウッド映画化された(こちらは観た。なにかと痛快で面白かった)。

なぜこのチョイスかというと、当時購読していた週刊少年サンデーでは『魔王 JUVENILE REMIX』(原作:伊坂幸太郎、漫画:大須賀めぐみ。伊坂『魔王』と『グラスホッパー』をごった煮にして少年漫画になっているかはともかく少年漫画的に再構築した謎の何かですごく面白い)の連載が始まっていて、かつ、当時ちちんぷいぷい(という今はもう無き関西の情報エンタメ番組)で西靖アナウンサーが何か本を紹介するコーナーをやっており、ある日彼が『グラスホッパー』を紹介しているのを見たためである。伊坂って聞いたことあるな、うーん、あ、そうだ、あの漫画の原作だ、小説のほうも読んでみるかという具合である。 という経緯で、近所の書店に母と一緒に行って『グラスホッパー』を買った。母は星新一ショートショート集を買っていた。この時点でSFジャンルに出会う可能性はあったわけだが、特に興味がなかったのですれ違っただけに終わる。 なお、この当時さすがに『グラスホッパー』のオチの仕掛けは気づかなかった。後年たしか『マリアビートル』が出たときネタバレ感想解説ブログでその仕掛けを知ることになる。

〜中学1年生

小学5年生以降、流行っぽいエンタメ一般文芸作品を追うことになる。伊坂作品はあれこれ手を出し、東野圭吾の《ガリレオ》シリーズとか海堂尊の《チーム・バチスタ》シリーズとかも読んでいた。あと万城目学も好きだった。

また、2009年、中学生になったばかりのころ、ゲッサン月刊少年サンデー)が創刊された。こちらも週刊の方と合わせてしばらく購読することになる。このことは中学2年生のときに効いてくる。

中学2年生

2010年の夏、転機が訪れる。ラノベと出会った。なぜ出会ったかといえば、ゲッサンで『とある飛空士への追憶』漫画版(原作:犬村小六、漫画:小川麻衣子)が連載されていたためである。漫画が面白いので、原作も買おう、となった。『追憶』のあとシリーズ後継『恋歌』もすぐに追いかけ始めた。『恋歌』4巻をアニメイトで買ったのを覚えている。

さらに《飛空士》を読み始めてからというもの、ラノベの存在に気づいた私は人気のある長めのシリーズに手を出すことになる。ふつうすぎる気もするが《灼眼のシャナ》《涼宮ハルヒ》《禁書目録》あたりにハマった。けっこうな勢いで最新刊に追いついていたと思う。ちなみに2010年は『涼宮ハルヒの消失』映画が公開された時期であり、私が買った《ハルヒ》の文庫カバーは期間限定のパノラマカバー版である。

中学3年生

夏、『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』を追い始めた。2巻が出たばかりの頃だったと思う。かくしてもう少し上の世代なら『とらドラ』が収まっていそうな場所(?)に『俺ガイル』が収まることになった。わりと初期から読んでいたことも相まって、長い付き合いのシリーズとなった。まあ、大人になってしまうと、青すぎてなかなか読むのはつらいとも感じるが。少し悲しい。

秋頃、アニメ誌を初めて買った。『追憶』映画版が公開される前で、その情報が載っていたためだ。映画については千々石中尉を演じたサンドウィッチマン富澤たけしが思いのほか上手かったことばかり印象に残っている。

買ったアニメ誌で新たな出会いもあった。キャラクターデザインにいとうのいぢを起用したホラー系アニメが冬に始まるという。綾辻行人原作の『Another』である。 放映からしばらくの間 #anotherなら死んでた というハッシュタグが流行ったのはひじょうに懐かしい。 とにかくいとうのいぢキャラデザで小説原作アニメということで興味をもった私は綾辻行人という名を覚え、書店をふらふらしているときに『十角館の殺人』を手に取った。『Another』を手に取れよと思うのだが、「なんか代表作っぽいし」という理由でまずは『十角館』から攻め込んだ。なおアニメ放映前には『Another』原作も読み終えていたことは覚えている。

そして、受験が終わっているんだか終わってないんだか記憶は定かではないが、ともかく冬だか春だかに『氷菓』(米澤穂信)も読んだ。京都アニメーションによるアニメ版の放映がもうすぐ始まろうとしていた。

(つづく)